今回の記事は特別編です。
同じ末期がん患者としての小林麻央さんへの想い
きっとご存知の方も多い、小林麻央さんのブログ。
ニュースを通じて目にすることが多く、同じ末期がん患者として、また、性格面に似ている部分を感じていたため、心から応援しています。
今までも、Twitterなどでつぶやくことはありましたが、昨日投稿された『はなまる』という記事を拝見し、常々思っていたことを、どうしてもご本人に伝えたくなり、はじめて芸能人のブログにコメントしました。
『小林麻央オフィシャルブログ KOKORO.』
『はなまる』
ところが、何かが管理者の方により不適切と判断されたのか、僕のコメントはブログには反映されなかったようでした。
押し付けるつもりは毛頭なく、無数にある情報の中の一つとして、万が一にでも、ほんの少しでも何かのきっかけになったり、役に立つことができる可能性があるかもしれないと思ったのですが。
せっかく書いたので、麻央さんのブログのコメントに比べたら、麻央さんの目に触れる可能性は極めて低いとは思いますが、その少ない可能性を信じ、そのコメントを記事にしました。
同じ末期がん患者として小林麻央さんに伝えたかったこと
以下がそのコメントです。(若干修正箇所あり。)
---ここから---
はじめてコメントします。
みっちーと申します。
私もがんの悪性度は低いですが、肺と脊椎への転移により、抗がん剤も含め、一切の標準的治療不能、いわゆる末期がんを宣告されました。
宣告されてから来年で6年目に入ります。
標準的治療ではない肺転移へのラジオ波焼灼療法や腫瘍脊椎骨全摘術、キネシオロジー、ボディートークなどの治療を行いつつ、食生活、運動、入浴、アロマ、睡眠、瞑想、認知行動療法やサイモントン療法などのストレスコーピング(ストレス対策)、サプリメントなどのアプローチを取り入れて、なんとか楽しく暮らしています。
がんとはかれこれ10年以上のつきあいです(^-^)
ニュースなどでこのブログを拝見し、麻央さんの気質が私に凄く近いと感じていました。
がんになりやすい気質には大きく2つの気質があるそうです。
それは不安気質と執着気質です。
不安気質は自分に自信がなく被害妄想に陥りがちで『きっと~に違いない』といった思考が特徴です。
執着気質は真面目で完璧主義で『~ねばならない』といった思考が特徴です。
私は執着気質で、麻央さんも執着気質なのではないかと感じています。
こういった人の考え方の根っこの部分をスキーマと言います。
認知行動療法はうつ病などの治療に用いられるアプローチで、うつ病だけではなくストレスコーピングとしても有効です。
認知行動療法の考え方は、同じ状況でもストレスに感じる人と感じない人がいる差は、状況に対する捉え方、『認知』の違いであるというもので、客観的事実に基づかない極端な認知を非適応的認知、客観的事実に基づいた適切な認知を適応的認知と言います。
認知は自動思考とも表現され、ある状況に対して反射的に、勝手に、自動的に思ってしまうことです。
状況に対して、例えば『~しなければならいのに~できていない自分はなんてだめなんだ。もっとちゃんとできるようにならないと。』などの自動思考が浮かび、それによって、例えば自己嫌悪などのストレス感情が生まれます。
認知行動療法(若干瞑想の考え方も取り入れて自分なりにアレンジしています。)は、ストレスを感じたら、まずは上記のように『状況』と『自動思考』と『感情』を文章化(最初のうちは実際に書き出すとよいと思います。)し、自動思考に『~と私は思った』と付け加えて、自分の自動思考を俯瞰、客観視します。
そして、自動思考が事実であると言える客観的事実に基づく『根拠』と、事実ではないと言える『反証』を列挙します。
列挙した結果、『根拠』よりも『反証』の方が多い場合、それは非適応的認知なので、事実に基づいた適応的認知に修正して文章化します。
非適応的認知は決めつける表現が多く短い文章、適応的認知は決めつける表現が少なく長い文章になるのが特徴です。
例えば先程の『~しなければならいのに~できていない自分はなんてだめなんだ。もっとちゃんとできるようにならないと。』が客観的事実に基づかない非適応的認知だった場合、『~しなければならないというのは私が思っているだけのことであって、この世に~しなければならない絶対的なルールがあるわけではないから、少しできなかったからといってだめだとは限らない。ただ、~できればいいなとは思うので、完璧でなくてもいいから、少しでもできれば自分を褒めてあげよう。』などの適応的認知に修正したりします。
そして、ストレスがどのような欲が満たされないために発生しているのかを文章化します。(このあたりは瞑想のアプローチです。)
例えば完璧でありたいという欲などです。
そして、『~という欲が満たされなかったけれど、それでも人生は素晴らしい』と心の中で言います。
これを繰り返していくと、自分の認知、自動思考を俯瞰、客観視できるようになってきて、満たされない欲の傾向が見えてきます。
(余談ですが、瞑想の真髄は考えないようにすることではなく、自分の自動思考を浮き彫りにし、それを俯瞰、客観視して整理するところにあるそうです。)
その欲の傾向を生み出している考え方がスキーマであり、気質にあたるもので、そのスキーマ、気質を変えて文章化し、ストレスを感じた際に自分に言い聞かせます。
例えば、私のような完璧主義で『~ねばならない』思考の執着気質であれば、『この世に、そうでなければならないことや、そうしなければならないことはなにもなく、完璧でなくていい。』などとスキーマを修正します。
私は、毎朝この言葉を心の中で唱えています。
私のような完璧主義で執着気質の人は、完璧を求めるうちに、完璧でなければならないように思い込み、ちょっとできないだけで、まるですべてがだめであるかのように自分を責めてストレスを抱えがちです。
勝手な印象ですが、ニュースなどで麻央さんの記事を読むたびに、自分と似て生真面目で完璧主義の執着気質の人なのではないかと思っていました。
この投稿にも、精一杯、予定通り、クリアなどのワードが出てきていて、すごく真面目なんだと感じました。
ただ、真面目はもちろん悪いことではないと思いますが、過ぎたるは及ばざるがごとしというように、真面目過ぎないようにすることも大切なのかなと思います。
がんを治したいという思いは、同じ末期がん患者としてよく分かるつもりですが、あまりそれに執着し過ぎて頑張り過ぎると、それ自体がストレスになることがあります。
ストレスはがんの大敵で、サイモントン療法などでは、ストレス対策などの精神的アプローチも重要と考えられています。
よって、逆にがんのことを考えない、一時忘れられるような、好きなことに夢中になる時間をつくることもとても大切なようなので、時にはゆるく不真面目な自分も許しつつ日々を過ごすのもいいのかなと私は思っています。
そのために、以下のようなことをする方法があります。
自分が喜びを感じることや人などを列挙し、そのなかで、もっと時間を増やしたいものにチェックを入れ、そのことや人に会うなどの時間を増やすようにする。
逆に自分がストレスを感じることや人などを列挙し、そのことや人に会うなどの時間を減らすようにする。
そして私は、サイモントン療法などの本を読み、健全な死生観を持つ大切さを感じました。
健全な死生観とは、死を特別なものとして考えてなんとか逃れようとするのではなく、特別なものではなく誰にでもいつか訪れる当たり前のものとして受け入れつつ生きるといったものです。
サイモントン療法などの本から、死から逃れようと生に執着し過ぎて生きるよりも、希望を持ちながらもいつか訪れる死を、生と同様の日常のように受け入れて日々を穏やかに過ごした方が、生に執着し過ぎるよりもストレスが少なく、結果的に長生きできるということもあるのではないかと考えるようになりました。
先程の言葉の他に、私は毎朝こう心の中で唱えています。
『人は自分の意思でできることしかできないから、どんな状況でも自分の意思でできることをやるだけ。
幸せは気づくもので、不幸せは幸せに気づかないことだから、どんな状況でも幸せを探す。
人は誰でも病気でなくてもいつか死に、いつ死ぬか、死後どうなるかは誰にも分からず、幸せはどれだけ生きたかではなくどう生きるかで決まり、死後どうなるかをどう信じるかは自由だから、誰にも分からない命の期限や死後のことを嘆くことで、確実に生きている今を不幸せな時間にしないように、死後も魂は永遠に大切な人の側にいられると信じ、治癒する可能性を信じて希望を持ちながら、治癒しなければ終わりであるかのように治癒に執着せず、今死んでも後悔しないような幸せを感じられるように今を生きる。』
私も90歳まで生きるという希望を諦めずに持ちつつ洗面所に『90
歳まで生きたい』と書いたボードを下げていますが、それに執着せずに、日々を楽しく過ごそうと思います。
(最初は『生きる』だったのですが、生に執着し過ぎないよう『生きたい』に書きかえました。)
当然ですが、これらのことは、ただ単に私が思っているだけで、絶対に正しいことでもなんでもありません。
もし、お目に止まれば、こう考える人もいるんだな程度に読んでいただき、麻央さんがいいなと思う部分があれば取り入れればよいと思います。
以前麻央さんが仰っていた通り、同じことでも効果が出る人と出ない人がいるでしょうから。
自分の直感を信じることが大切だったり、やらされていると思いながらやるよりも、自分がやりたい、自分に合っていると思うことをやるほうが効果が出ることもあるそうです。
薬の開発試験で薬の効果を測るために使われる手法で、実際に開発した薬を与えたグループと、薬ではないものを効果があると説明して与えたグループで測定する手法があります。
その際に、薬ではないものでも、説明した効果が出る現象をプラセボ効果と言いますが、信じる力はそれだけの可能性があるということですね。
まさに信じるものは救われるです(^-^)
お互いに頑張り過ぎず、奇跡を信じながらも、それに執着し過ぎずに、少しでも幸せな日々を送れるといいなと思います。
偉そうにこんな長文を申し訳ありません。
どうかご自愛ください。
---ここまで---
できることなら、麻央さんの目にとまることを祈ります。
本編をかなりさぼっていますが、根を詰めすぎず、書きたいときに書こうと思います。
あくまでも気が向いたらで構わないので、SNSなどで拡散いただけたら幸いでです。