がん闘病記

がん患者が自分と大切な人のためにどう生きるか

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僕は前回、入院中のベッドの上で「死」について考え、死に至る苦痛は別として、自身の「死」そのものは、死後何も感じないのだとすればそれほど恐怖するようなものではない。

そして、幸せな人生であるか不幸な人生であるかは、命の長短や境遇で決まるのではなく、幸せに気づく力で決まるのだという考えに至りました。

そして、病院のベッドの上で、まだ僕の思考はめぐっていました。

僕は幸せなのか?

では、僕の人生は幸せな人生なのか?

僕は今死んだとしても、少しも迷うことなく幸せな人生だったと言えます。

本当に素敵な人たちに囲まれて過ごした人生だから。

僕にとっての幸せは何も大それたことなどではないです。

大金が欲しいわけでもない。

出世して権力や地位や名誉が欲しいわけでもない。

ただ自分が大好きで大切な人たちとの他愛のない時間が欲しいだけです。

誰にも明日生きてる保証はない。明日死んでも後悔しないために

そして僕は、生きている間にすべき重要なことは、残される大切な人が少しでも悲しまないように、少しでも幸せに暮らせるように、悔いの残らないよう、できるだけのことをすることだと思いました。

がんという病気は一度かかると、どんな処置をしても再発・転移の可能性から逃れられないということを身をもって知りました。

今回病理検査でどんなに安心な結果が得られたとしても、明日死ぬかもしれない覚悟で日々を生きていくことの大切さを再認識しました。

明日生きている保証がある人はこの世に存在していません。

人は誰でも、明日交通事故か何かで突然命を落とすかもしれないのです。

そうなったとしても、大切な人が幸せに暮らせるように日々を生きることが重要なんだと思いました。

今回のことで、僕は、自分がいつ死んでもいいように遺言を残し、家族にどこかのタイミングで話をしようと思いました。

もちろん、死ぬ可能性が高いからといった話し方はせず、あくまでも考えるよい機会があったからなどという理由で。

恐らく遺言などという書面で渡したらショックを受けるので、実際の書面は死んだ際に当人たちに渡るようにし、あくまでも口頭で話をしようと考えました。

自分自身の遺産で残された人が幸せに暮らせるならよいのですが、ちょっと心許ないので、自分の遺産の話ではなく、家族へのお願いごとのようになってしまうのですが。。

いよいよということになったら見せるようか。。

そのあたりは何かしら考えないとな。。

まぁ、このブログを見ることになれば伝わるのかな。。

今のところノープランではあるが、そのあたりはおいおい考えるとしよう。。

続く。

 

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