がん闘病記

がんになって知った大切な人の死で後悔しないために大事なこと

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リンパ節転移という事態を迎え、「死」についてじっくりと向き合うにあたり、はじめてがんになったときに考えたことも改めて思い出されました。

大切な人と明日会える保証はない。想いの伝え残しをしないために

はじめてがんになったとき、僕はこんなことを考えていました。

明日は必ず来る。

そういう歌を耳にすることがありますが、何故そう言い切れるんでしょうか?

生きているということは、そんなに当たり前のことではないはずです。

病気、事故、犯罪、戦争、飢餓。

この世に明日の生を約束された人間は存在しません。

だからこそ確実に生きている今は、本当に貴重な瞬間なのです。

明日が来ないとしても後悔しないよう、今を精一杯生きようとすることは、明日を夢見ることよりも尊いと思ました。

今を精一杯生きてこそ明日も輝くのです。

そして、今日会えた人と明日会えるとも限りません。

親に叱られて家を飛び出した子供が、事故で溺死したというニュースをテレビで見たとき、親の気持ちを考えると切なくてたまりませんでした。

あれが最後だなんて。。

家族、恋人、友達。

大切な人と明日会えないと知っていれば、伝えたいことがあるはずです。

今、照れくさくて言えずにいることも、けんかしていて言いだせずにいることも、相手が死んでしまったら伝える術はきっとありません。

伝えられなかった思いは、思いを伝えられないまま残された人を、きっと苦しめます。

みなさんは伝えられているでしょうか?

明日死んでも後悔しないように。僕の家族への想いの伝え方

僕は、学生時代親とあまりうまくいっていませんでした。

おまえとは合わないから、就職したら出ていってほしいとまで言われ、正直ショックだったのを覚えています。

その後就職してほどなく家を出て、数年後に結婚しました。

絶縁したとかでは全然なく、家を出たことと、奥さんが緩衝剤になってくれたことで、一緒に住んでいた頃のような、ギスギスした関係ではなくなっていました。

だが、はじめてがんになったときに、前述のようなことを考え、伝えられるうちに、後悔しないよう、両親への思いを伝えようと決めました。

はじめてのがんの手術の退院後、実家での退院祝いの食事の席で、両親を大切に思っていることと、深く感謝していることを伝えようとしたが、これがかなりの勇気が必要で、なかなか言い出せませんでした。

酒をこれでもかと飲みまくって、会も終わろうかというころに、ようやく言うことができました。

伝えた内容は、とてもシンプルなものでしたが、母は泣いていました。

父は、おまえがそんな風に思っていたとは思わなかったと、しみじみと言っていました。

親子であっても、言葉にしなければ、思いは意外と伝わっていないものなのだなと痛感させられました。

ほんとうに伝えられてよかったと思いました。

その後は、親孝行について後悔しないよう、両家の両親と会う機会を増やし、毎年両家の両親を食事や温泉などに招待するようにしています。

孫がいない分、そういった孝行をしたいと思いました。

はじめて両家の両親を温泉に連れていったときの、嬉しそうな父親の顔が忘れられません。

今のところ、明日両親が旅立っても、後悔しない孝行はできていると思います。

また、奥さんとけんかしたりしたときは、なるべくその日のうちに仲直りするようになりました。

こんなことは、がんにならなければ、気づくのがもっと遅かったと思います。

そういう意味では、がんもまんざらてまはないとも思いました。

これからも、自分が残される立場になったとき、あのときこうしていればよかった。。といった、思いの伝え残し、やりのこしがないよう、大切な人と明日会える保証がないことを胸に、日々を生きていこうと思ったのでした。

続く。

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