がん闘病記

唾液腺がん脊椎転移の腫瘍脊椎骨全摘術と自家液体窒素処理骨移植

スポンサーリンク

僕は唾液腺がんが肺に転移し、がんのかかりつけの病院で治療不能、末期がん宣告を受けました。

それでも奇跡的な完治を目指して他院で転移性肺がんのラジオ波焼灼療法を実施するも、今度はその病院で脊椎に転移が見つかりました。

ラジオ波焼灼療法は全てのがんを取り除けなければよくなることはないので継続しても意味がなくなります。

がんのかかりつけの病院に提案された脊椎の治療法が完治目的でなかったため、奇跡的完治のための治療法を調べ、腫瘍脊椎骨全摘術(TES)という治療法にたどり着きました。

唾液腺がん脊椎転移の腫瘍脊椎骨全摘術、自家液体窒素処理骨移植

ついに手術の日を迎えました。

この日は奥さんの両親もかけつけてくれていて、お義父さんの運転で病院を目指しましたが、なんと違う病院に着いてしまったそうです。

奥さんは顔面蒼白になって、間に合わなかったらどうしようとずっと泣いていたそうですが、なんとか間に合いました。

8:30時頃に手術室に入って、10:00頃から17:00頃まで手術を実施しました。

長丁場です。

後から奥さんから聞いた話ですが、お医者さんはトイレに行けないからオムツをして手術をするそうです。

つくづく頭が下がります。

術後はICUへ移動しました。

朦朧とした状態で覚えているのは、とにかく寒くてガクガクと体が震え、左腕が激しく痛んだことです。

恐らく、手術時にずっと同じ姿勢だったことで血流が悪くなったことが原因でしょう。

血栓予防のフットポンプ(足に空気で定期的に圧力をかける機械)を使用していました。

ドレーンが2本挿入されていました。

背中の下部の発汗が激しいです。

そして、痛み止めの影響からくる吐き気にも襲われてこの日は一睡もできませんでした。

痛み止めは点滴で常に体内に注入している状態です。

手術の翌日

10:00前にICU重症個室という部屋に移りました。

左腕の激しい痛みと痛み止めの影響の吐き気はだいぶ解消されました。

昼からは常食が配膳され、米以外は完食したが、休憩を挟みながら一食に2~3時間かかりました…

とにかく疲れて、食事の後はぐったりでした…

手術から3日後

2本差していたドレーンが1本になりました。

常注していた痛み止めの点滴も、吐き気対策で痛みが強い時にスポットでの対応と飲み薬に変わりました。

徐々に処置が軽度になっていきます。

首と体を動かすと痛みがかなり強く、自力では体の位置をほとんど変えられないのと、じっとしていても楽ではないので寝たきりだがほとんど眠れていません。

手術から4日後

今のところ麻痺も発生していません。

この日は1時間かからず、休憩と痛み止めの追加なしで食事ができた。

お医者さんと看護師さん、ほんとうにみなさん素晴らしいスタッフさん達で、感謝の日々です。

特に看護師さんは、本当になるべき人でないと務まらない仕事です。

汚い話で申し訳ないですが、ベッドから動かないので下の世話までしてもらうのです。

それだけは嫌で恥ずかしくて情けない気持ちでしたが、それをする看護師さんの方が余程大変です…

でもどなたも嫌な顔ひとつせず対応してくださります…

白衣の天使とは本当によく言ったもので、本当の意味での天使だと思いました。

そして、なにより忙しい中、この日までずっと付き添ってフォローしてくれた奥さんに感謝の気持ちでいっぱいです。

彼女がいてくれたおかげで、身の回りのことが一切のストレスなく行え、なにより気持ちが安らぎました。

相当心も体も疲労しているはずなので、ゆっくり休んでほしいです。

手術から7日後

午前中にドレーンと血栓予防のフットポンプがとれました。

ただ主治医が学会で出張中のため離床許可持ち越しに…

もう少し寝たきり生活が続くが、日に日に痛みも和らいできて、この頃になると夜も寝られるようになってきました。

そういえば、僕の重症個室の部屋ナンバーが777。

嬉しいが、運はもっと他のことに使いたいです笑

続く。

 

 

スポンサーリンク

-がん闘病記

© 2025 最幸の末期がん患者のブログ